登攀チーム ひも野郎

傾山二つ坊主南壁を登るために集まった変わり者たちの記録

傾山 二ツ坊主南壁登攀 後半戦の記録  ~最終話 「ALWAYS RAINY」~

最終話 「ALWAYS RAINY」

ワンプッシュ  2023年10月13日  メンバー 片山 折口 橋本

次がいよいよ最後!となってからあろうことか5ヶ月もの月日が過ぎている。もちろん手をこまねいていたわけではない。この間、何度計画しても雨に見舞われ中止、中止の繰り返し。7月に一度取り付きまではたどり着いたが、長雨の影響か、なんとルートには染み出し、いや吹き出しで幻の滝が出現していた。

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そうこうしているうちに、夏になり、仕事と家事でクライミングどころではなくなってしまった。気が付けば紅葉が始まっている。

 

これ以上遅れると冬が来る。最後のチャンスにと10月13,14日の予定をこじ開け、二人に打診した。出発一週間前。それまでスタンプ連打のごとく太陽のマークが並んでいた天気予報に2つ傘のマークがついている。日にちはなんと13日と14日。

お天気ドットコムには私達をどうしても傾に行かせたくない人がいるのかな?



しかし今回は予定日が近づくにつれ予報は好天へ向かう。14日は絶望的だが、13日は持ちそうだ。空気も乾燥してきている。何とかなりそうだ。9日に橋本が小雨の中取り付きまでのアプローチを確認してきてくれた。残る問題は数か月まともに登っていない自分のコンディション。

 

今の自分はあの壁で冷静にムーブを出せるのだろうか。現在の実力が把握できていないことが恐怖心を膨らませる。しかし、ここで先送りにしても今より上手くなるはずはない。これ以上下手になる前にいくしかないのだ。記録を読み返し、プロテクションとルートのイメージを少しだけ取り戻す。

 

12日夜、九折登山口にひも野郎3人が久しぶりに集合した。打合せを終え満天の星空のもと、明日の健闘を祈り一杯ひっかける。

13日、まだ月も沈まぬうちに、ジムニーで林道を登れるところまで登る。そこからは久しぶりに例のアプローチを3人で歩く。この感覚がとても懐かしく心地よい。二人と一緒に歩いていると何とかなるなと思えてきた。



7時過ぎに取り付きへ到着。交換日記は進んでいなかった。最後のメッセージをしたため、準備を整える。出だしはルンゼ奥のチョックストーン左を登る。

苔むしたチョックストーンを登る

チョックストーン上のブッシュから左のレッジへ出れば1ピッチ目の取り付きだ。ここはアプローチの0ピッチとしているが、チョックストーンは湿っていて緊張した。1ピッチ目取り付きまで登ったら、一旦ザックを荷揚げし、二人をビレイする。3人そろったところで改めて、ルートを見上げた。ガスに包まれているが、岩は乾いている。1ピッチ目はオールナチュプロでフェイスを30m程登る。特別難しい箇所は無いが、全ピッチ中で一番リスクと緊張感のあるピッチでもある。少し冷たい傾山の空気を深く吸い込み、静かに登りだす。

 

1ピッチ目 片山リード

何度も確かめた位置に的確にプロテクションを決めながら、慎重に高度を上げていく。2つ目のカムを入れる直前のホールドが甘くて怖い。明らかに動きが硬い。一度不安を感じれば、それはどんどん膨らんで、次第に足が震えだす。少し戻り、一度体制を安定させ、深呼吸して震えが止まるのを待つ。

大丈夫だ。落ちてもグランドは無い。震えをねじ伏せて、またゆっくりと登りだす。ラインを間違わないよう慎重に。後半10m程は傾斜が少し強くなり、ホールドも細かくなる。トーテムの黒を決めて、慎重にホールドをつないでレッジのリップを取ったら一安心だ。どこにプロテクションが取れるのかわからない緊張感。それこそがこのピッチの醍醐味だ。無事レッドポイントを果たし安堵。ようやく感が戻ってきた。2人を迎え、すぐに2ピッチ目にかかる。



2ピッチ目 片山リード

ここは1ピッチ目以上にプロテクションが取れない。突破時のボルトは一本だったが、フリー化のためもう一本打ち足した。それでもランナウトは避けられない。

出だしに5m程左へトラバースしたら弱点に沿って終了点の小ハングを目指す。傾斜はほぼ90度で高度感がすごい。「現代的なクライミング」とでも表現したらいいのか、ムーブ的にも映えるピッチだ。1つ目のボルトを超え、数メートル延ばし、効いているかわからないボールナッツ赤をリスに挟む。

その先の手順が少し辛い。ステップが細かく緊張する。核心は終了点手前だが、トーテム黄色がばっちり効くので恐怖心は少ない。このカムの効きは実証済み。1ピッチ目より難しいのだが、エンジンがかかってきたのか、気持ち良く登れた。



3ピッチ目 折口リード

核心の花形ピッチ。小ハングを超え途切れ途切れのクラックをつないで右上し、最後は右へトラバースして大テラスを目指す。折口がじっくりと登る。全体的にステップが細かく、緊張感がある。

クラックに入ってすぐが一つ目の核心。指先がちょっとだけ引っ掛かる程度のポケットを頼りに向きの悪いステップをつないで、スメア気味に足を上げる。右足が滑ればフォールは必至。心臓の鼓動が速くなる。じっくりフリクションを確認し、最後は思い切って乗りあがる。これを超えれば、しばし気持ちよくクラック登り。

トラバースに入る手前が第二の核心。数十センチ体を上げればガバだが、そこにいたるホールドが手も足も小さく甘い。失敗が許されない一手。緊張でのどは渇くが手はぬめる。ここもじっくり探り、最後は意を決して立ち上がる。最後のトラバースも気が抜けない。テラスへ上がる直前のラインを誤ると難しいムーブになる。私の登ったラインより少し上のラインを取って無事テラスへ。安定した登りでフラッシュを決める折口。さすがだ!

 

2番手で橋本が続き、最後に私。初めてこのピッチをフォローで登ってみた。壁全体を眺めながら、じっくり味わう。

やはりこのピッチは素晴らしい。小ハングからテラスまで、ツルっとしたフェースのほぼ真ん中に、細いクラックが一筋。その前後をつなぐように、細かいホールドが奇跡的につながる。最後はテラスまでの道を示すかのようにトラバースラインが一筋。まさに壁が導いてくれたライン。

こんなにも美しいラインが誰に知られることもなく、令和の今日まで残されていたことが奇跡。二ツ坊主南壁はそこに無名の私達を導いてくれたのだ。そう思うと、この壁で幾度となく浴びた雨も、どこか温かく、決して私たちを拒んでいたわけではないように感じる。

そんな思いが浮かぶほど、私はこの壁が好きになってしまったようだ。

 

4ピッチ目 折口リード

暗闇の中、折口が突破したこのピッチ。染み出しをもろに受けるため、全体的にコケっぽい。7月に滝のように噴き出していた水の出どころはおそらくここだ。今日もところどころ濡れている。核心の薄被った凹角は全般的に濡れていて気持ち悪い。凹角に突っ込んだほうがムーブはいいが、ぬめりとコケで精神的につらい。凹角を左から巻くように登れば乾いたところを繋げられるが、ムーブは少し渋い。

ここで好みが分かれる。折口はもちろん湿った凹角へ突っ込む。2番手橋本もそれに続く。私は左の乾いたところをレイバック気味に。泥は苦手だ。ブッシュへ入り込むところも、ずるずるで結構神経を使う。グレードに現れにくい難しさがあるピッチだ。この手のセクションは折口がめっぽう強い。灌木帯に入ったらロープいっぱいまで伸ばしてピッチを切る。安定した登りで無事このピッチもレッドポイント。

 

5ピッチ目 橋本リード

灌木帯のルンゼを数十メートルのぼれば、例のビバーク洞窟がある。洞窟上、木漏れ日の気持ちいいテラスが5ピッチ目の取り付きだ。ブッシュを使いつつ、避けつつ左上していく。ここまでのピッチと比べて浮石や怪しい灌木が多く気が抜けない。ハング下をトラバースする箇所と終了点のレッジ手前が渋いが、橋本はぐいぐいとロープを延ばす。

思えばこの二つ坊主南壁に最も強い想いを持っていたのは橋本ではないだろうか。私や折口が行けない間も足しげくこの山に通い、何度となく歩荷、偵察を繰り返した。雨で無駄足になった日も、雪に埋もれたときも、その時々の傾山を全身で感じ楽しむ姿にどれだけ元気づけられたかわからない。

橋本のクライミングが強いのは前々からだが、蒼天へ向かってロープを延ばすその背中は、以前にもまして力強くカッコよかった。



6ピッチ目 片山リード

小さくなった壁をカンテ伝いに登る。ほとんど木登りでグレード感は良くわからないが、壁を横切って右のブッシュに移る箇所が妙に悪い。このピッチは間違いなくフォローの方が苦労するので、前のピッチを最後に登ってナチュラルにリードをゆずってもらうのが良い。

 

7ピッチ目 片山リード

いよいよ最後の最後。長かった登攀もこのボロボロの10mで終わる。なんてことの無いピッチだが、ここまでの長き登攀を思えば、一手一手に思いが募る。2年がかりの240mが、一つのラインでつながる。この喜びは他にない。二つ坊主の稜線に登り立ち、縦走路で二人をビレイする。万遍の笑顔で登ってくる2人を迎えたら、ビレイ解除も忘れ、三人で喜びを爆発させた。ようやく終わりを迎えた二つ坊主南壁の登攀。只々、楽しかった。今浮かぶ言葉はこれしかない。

 

追伸

登攀を終えた我々は猛スピードで坊主尾根を駆け降りた。丸一日の登攀で疲れてはいたが、開拓道具の無い背中は羽が生えたように軽い。これまでにないスピードでジムニーまで戻り、竹田で温泉に飛び込む。そして辻川原の川辺にテントを張り、待望のビールとウイスキーを流し込んだ。これまでのエピソードを語らいながら、これからのクライミングに夢を見ながら夜はふけていった。

 

 

翌日。テントに打ちつける、ぼたぼたという雨音で目覚める。二つ坊主はその姿を再び雨雲の中に隠していた。

2021年1月の偵察から2年と6カ月。実に楽しい登攀だった。2年の間に自身の身上も大きく変わり、山いられる時間も大きく減った。雨に悩まされ、遅々として進まぬ登攀。重い荷物と長すぎるアプローチ。それでも、数メートル進む度、新しい感動があった。

沢山の出合いと喜びと成長をくれた二ツ坊主南壁と、共に登ってくれた折口、橋本両名に心から感謝します。この3人で登れたことを誇りに思う。

傾山 二つ坊主南壁。私達はこの忘れられた古の岩壁に新たな光を灯せただろうか?多くの人に登ってほしいとかそんな気持ちはさほどない。私たちはただ面白そうだから登ってみただけ。だけど、大分にもこんな壁があるということ、そこにかつて情熱ぶつけた人たちがいたこと。それを少しだけ知ってもらえたなら、僕たちのルートは再び雨雲に隠れてしまってもいい。

そんな思いを込めて、ルート名はやっぱり

「ALWAYS RAINY」

 

ルート情報

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0P 10m

ルンゼ奥のチョックストーンを左側から超え、ブッシュを通って左のレッジへ出ると終了点のボルトがある。アプローチの0Pとしているが、確保は必要。

(使用ギア:キャメロット#3,1,4)

 

1P 5.10b 30m B0

フェイスを弱点にそって直上。30m上のレッジに終了点のボルトがある。中間支点にボルト無し。よく探せば適度な感覚でランナーが取れるが、初見で見つけるのは困難かもしれない。どこをどう登るか、初登気分を楽しんでもらいたい。撤退用ジャンピングの携行等、準備は十分に!

(使用ギア:キャメロット#1,3 トーテムカム 黒×2,黄色,紫×3,緑,トライカム赤)

※0P,1Pは大分登高会ルートの1P,2Pと共通

 

2P5.10c 20m B2

1P終了点のレッジを左に5mほどトラバースし、1本目のボルトから直上。ボールナッツ赤があれば1本目と2本目のボルトの間にランナーが取れる。

(使用ギア:トーテムカム青,黄 ボールナッツ赤)

 

3P5.11a 20m B5

ルート全体の核心ピッチ。内容もロケーションも抜群。出だしの小ハングを超え、細いクラックを使って右上。ラストは右の大テラスへ向けて明瞭なラインがつながっている。終了点のある大テラスの直前にあるボルトは撤退用に残しているが、登攀時は使用しない方が良い。

(使用ギア:トーテムカム黒×2, キャメロット#0.2,3)

 

4P 5.10C 30m B5

大テラスから直上。苔むした凹角から灌木帯へ入る。灌木帯はロープいっぱいまで伸ばして立木でピッチを切れば、次のコンテを短縮できる。

(使用ギア:トーテムカム黄×1)

 

灌木帯コンテ 70m

灌木帯をルンゼに沿って左上し、洞窟を超えて開けたころが5P目の取り付き。

 

5P 5.10a 30m B4

取り付きから数mで大きな松のあるテラス。灌木を左に避けつつ直上し、小ハング下を左にトラバースしレッジへ。カンテに沿って直上で安定したテラスへ出る。終了点は左手奥の立木。

 

6P5.8 20m

ブッシュを避けて左のカンテ沿いを登る。ほぼ木登り。ワンポイント壁を右へトラバースする箇所が悪い。

 

7P5.8 10m

樹林の先に現れるボロ壁を越えたら稜線の縦走路へ出る。

 

※5-7Pはブッシュがうるさくお世辞にも良いピッチとは言えない。メインの1-4Pのみ登って灌木帯のルンゼから稜線へ抜けても良いだろう。

 

全行程

≪アルバム≫

 

傾山 二ツ坊主南壁登攀 後半戦の記録  ~第9話 カモシカと交換日記~

第9話 カモシカと交換日記 

ルート整備  2023年4月9日  メンバー 片山

 

グランドアップによる開拓が終わり、あとは全ピッチのフリー化とワンプッシュトライを残すのみとなった。しかしそうすんなりと終わらせてくれないのが二つ坊主南壁である。ここからがまた一苦労。

 

フリー化に向けてまず、エイド突破となってしまった3ピッチ目のクラックを掃除する必要がある。しかしそこに行くのが一筋縄ではない。下から行くには、当然1~3ピッチを再度登る必要があるのだが、掃除道具にドリルを担いで登れば、開拓同様に時間を食う。

核心のクラックは草まみれ

それより重大な問題は、4月に入ってから、仕事も育児も多忙を極め、メンバーとタイミングが合わないこと。一人であの壁を登る勇気はない。上から下降なら一人でもアプローチ可能だが、問題のピッチに到達するには、140mは懸垂する必要がある。しかもトラバースが多いので、下まですんなり懸垂で降りていけるか自信が無い。安全策でフィックスをつないでおきたいが、前回ルンゼに残置したロープを使っても、残り110m。それだけのロープと掃除道具を担いで坊主尾根を歩荷し懸垂。登り返して下山となると…。何とも効率が悪い。しかし、ボルトを打った以上、フリー化は義務だ。重い腰を上げ4月9日再び南壁へと舞い戻った。

 

重荷に喘ぎながら坊主尾根を登り、ブッシュと戦いながらフィックスを張り、問題の3ピッチ目まで下降。例の草が詰まったクラックをバールで掘り返してみる。一際大きな草の塊をはがすと、意外や意外。思いのほか深く良好なシンハンドが姿を現した。カムも十分決まる。

一見何も無さそうに見えるが / しっかり掘り返すと意外や意外

一通り掘り返しつつ、2ピッチ目終了点まで降下。今度はムーブを試しながら登り返す。グランドアップ時は絶望的に思えたこのピッチだが、掃除が終われば、なんてこともない。カム効きも良く、グレードはあっても10d~11aといったところ。開拓で設置したボルト数本は不要。次回撤去することとした。

クラック沿いのボルトは後日撤去した

自分の未熟さで不要なボルトを打ってしまったことに後悔を覚えた。もう少し粘って泥を掻き出すとか、草にイボイノシシをたたき込むとか、もっとできる手段があったのではないだろうか。グランドアップの難しさと、当時の自分にいかに余裕が無かったのかがわかる。あまりに未熟。しかし選んだラインは間違っていなかったと思う。

 

それにしても、暗闇の中折口が突破した4ピッチ目。このピッチがなかなか悪い。特に染み出しの薄被りを超える部分。手はコケで滑るし、足も細かい。少し左から、染み出しを交わして登りたいが、ホールドが細かい。プロテクションは皆無なので、ここは逆にボルトを一本追加することにした。それにしても、折口は暗闇の中、良く登ったものだ。やつのコケ耐性は相当のものだな!

つららの垂れる張り出しの抜けが結構悪い

作業を終え、登るごとに増えるロープを担ぎ、うめきながらユマーリング。坊主尾根に戻ったら、回収したフィックスもあわせて190mのロープを担いで下山した。あまりの重さに膝が笑う。

40m+70m+80m+60m(細引き) ビビッて持っていきすぎ!

 

余談だが、この日の朝はやけに冷え込むと思ったら、4ピッチ目の一部に立派なつららができていた。そこに日が当たり、掃除中は上からパラパラと氷が落ちてくる。時折、こぶし大の氷も落ちできて、ヘルメットがへこむ。まさか4月の九州で落氷に合うとは…これもまた貴重な体験だった。それにしても楽しいなあ!

掃除を目撃したハイカーに吉作の亡霊と噂される。

4月15日16日 雨中止
5月14日 雨中止

 

核心ピッチフリー化  2023年5月21日  メンバー 片山 橋本

フリー化のめども立ったし、次はワンプッシュで完全制覇と意気込んでいたのだが、3人で予定した日はことごく雨。「傾きはいつだって雨」そんなキャッチフレーズが三度…。最後のワンプッシュは3人そろってやりたい。5月21日に橋本とタイミングが合い、天気は晴れ。しかし折口は来れず。何もしないのももったいないので、最後の整備兼3ピッチ目のフリー化を目的に三度上からのアプローチを試みた。今度は二人なので、上から懸垂で3ピッチ目まで下降。3ピッチ目をフリー化し、3~1ピッチを整備しつつ、基部まで降りることとした。

フリー化前、最後の整備中

 

結果からいうとフリー化は無事完了した。ボルトを撤去したクラックラインはぴりっとした核心が2つある三ツ星ピッチになった。グレードは試登時の感覚とほぼ同じ、5.10d~11aでいいだろう。ここまでくる困難さもふくめ、5.11aとしたい。

このロケーションでこの内容は一登の価値あり!?



この日、私たちはフリー化以上に嬉しい出来事に2つ遭遇した。

一つはまぶしい早朝を浴びながら、重荷を担いで三つ坊主を登っていた時だった。小ピークを超え、下り坂を覗いた瞬間、10m程先で何かが動いた。かなり大きくずんぐりしている。その物体と私、ほぼ同時に互いに動きが止まる。息を殺して目を凝らすと、目の前のずんぐりしたやつはカモシカだった。傾山カモシカがいるのは有名だが、なかなか出会えるもんじゃない。現に私達が二つ坊主に通い始めてもう2年近くなるが目撃したのはこれが初めてだ。

 

二つ坊主の登攀ももうすぐ終わる。「これだけ通ったのに合うことはできないのか」と思っていた矢先のことで、興奮を隠せなかった。写真を撮ろうと携帯を取り出している間に、颯爽と走り去ってしまった。鹿とも、ヤギとも違うこの生き物は愛らしく、どこか神々しさもあった。いつまでもここ傾山に生きていてほしいものだ。

この深い森の中、彼らは確かに生きている

 

そして二つ目の出合いは、作業を終え岩壁の基部へ降り立った時だ。最後の懸垂を終え、ロープを解除していると、ふと足元に見慣れないプラスチックケースが置いてある。ケースの蓋には「交換日記」。こんな沢屋も来ないワイルドな壁の下で、交換日記とは!思わず吹き出してしまった。

 

交換日記などもらったのは人生初。お相手はもちろん、去年ロープの先に素敵な手紙をつけてくれた、チームひも野郎の名づけ親、W&Tさんだった。

前に「往年のクライマーに違いない」などと書いてしまったが、それは全くの勘違いで、現役バリバリの女性クライマーであることが判明。大変失礼いたしました。かわいらしい文字で書かれた日記の最後に記された日付は3月4日。3月4日は私の誕生日である。偶然同時期にこの壁に取り付き、偶然私の誕生日に手紙をくれる。W&Tさんあなたは一体何者なんですか!?

 

勝手に運命を感じつつ、返事をしたためる。手紙など書きなれてないので苦戦した。互いのルートが完成したら、それぞれ、逆のルートを登り、二つ坊主のピークで互いのルートの感想を言い合う。そんなことができたらどんなに楽しいだろう。

 

女性からの手紙にフリー化以上にテンションが上がる。我ながら単純。

 

あとはワンプッシュを残すのみ。「人事を尽くして天命を待つ」舞台は整った。あとは天候をみて三人で駆け上がるだけだ。この長すぎるプロジェクトもいよいよフィナーレだ!

 

・・・最終話 「ALWAYS RAINY」へつづく....

 

<アルバム>








傾山 二ツ坊主南壁登攀 後半戦の記録  ~第8話 トップアウト~

第8話 トップアウト

偵察とアプローチ工作 2023年3月15日 メンバー 片山

九州の短い冬は終わり、温かい日が続いている。相変わらず忙しく冬の間は、ろくにレーニングもできなかった。準備不足は否めないが、そろそろ動かねば時間ばかりが過ぎてしまう。橋本、折口両名のやる気にも触発され「もう行ってしまおう!」と心を決める。3月20日21日に2日がかりで強行しようと二人へ打診した。しかし上部岩壁へは、長い坊主尾根を越えて、ブッシュ帯のルンゼを下降しなければならない。軽く4時間近くかかるロングすぎるアプローチなのだ。下手すると取り付きにつくだけで終わってしまいかねない。できるだけ登攀に時間をさけるようにと思案を巡らせた。

雪はすっかりなくなった坊主尾根

その間、燃える橋本が事前に2度も歩荷し、ロープとビール6缶を荷揚げしてくれた。これに答えねばと、15日私も二つ坊主へと向かった。目的は、偵察と荷揚げ、そして前回詰めあがったブッシュ帯をスムーズに降りられるよう、フィックスロープを張りに行くこと。40mと80m、合計120mのロープとボルト12本その他もろもろを担いで、坊主尾根の急登を登る。冬の間まともに動けなかった足に少々堪えた。

 

坊主尾根のコルから、前回詰めあがったブッシュ帯のガリーを下る。改めて上から見るとブッシュ帯とは言え、傾斜はなかなかのもの。登るはいいが、下るにはロープがないとかなり危なっかしい。まず担いできた40mロープを適当な木に括り付け、フィックスを張りつつ、前回の岩屋を目指した。ちょうど岩屋の上で40mいっぱいになったので、80mに切り替え、更に下る。

40mに80mを連結して上部岩壁基部を探る / 懐かしのカプセルホテル

改めてみるとこの岩屋、なかなか良い寝床だ。そこから80mロープが届く範囲で上部岩壁を探る。あっちこっち探ってみたが、予想よりブッシュが濃く、ピークへ向かう想定ラインはかなり長時間の木登りクライミングを強いられそうであった。また、ピーク方面の岩は脆そうで、あまり登攀意欲が湧かない。結果、岩屋の上の岩壁が一番すっきりしていて、気持ちよさそうに感じた。改めてみると、クラックは無いが、灌木をうまくつないで、ハングを避けつつ登れば何とかなりそうだ。ラインは決まった。

いろいろ探るがどこもブッシュが濃い

 結果、フィックスは40mで足り、80mロープはいらなくなったので、再度担ぎおろす。なまった体にちょうど良いリハビリである。

トップアウト後の乾杯用に橋本が荷揚げしたビール六缶とロープとガチャを隠す

 

登攀第7日目 2023年3月20日 メンバー 片山/折口/橋本

アタック予定日が近づくにつれ、天気予報が下り坂。3日前までは21日夜から雨の予報であったが、2日前の天気予報では、21日は昼から雨予報に変わっていた。この分だと21日の登攀は絶望的である。らしくなってきたではないか!「傾はいつだって雨」そんなキャッチフレーズが頭に浮かぶ。そこで前日、急遽予定を変更し、20日の出発を早める。20日中に限界まで登り、ビバークし21日は下山のみの行程とした。

 

20日03:00折口をピックアップ。03:30戸次で橋本と合流し、一路九折登山口へと向かう。05:30登攀具とビバーク装備、ドリルセットを担ぎ満点の星空の元坊主尾根へ向け歩き出す。事前の荷揚げのおかげで、荷物は今までで一番軽い。と言っても各15~20㎏弱はあるだろう。気温は0度前後。歩く分にはちょうど良い。

暗闇の中重荷を担いで歩き始める / 雲が出る前にと先を急ぐ

ヘッテンを頼りに急登をせっせと登り、気持ちのいい三尾の稜線で朝日を浴びる。装備をデポした岩屋に到着したのは08:30。今度はビバーク装備を岩屋に隠し、登攀装備で、上部岩壁取り付きへ向かう。事前にアプローチ工作をしたのが功を奏し、9時過ぎには予定の取り付き地点に到達した。改めてみ上げると、傾斜は相変わらず強いが、灌木をつないでいけば何とかなりそうだ。問題は脆そうな岩質。浮石には十分な注意が必要だろう。

 

久々の登攀を前に心地よい緊張感に包まれる。手順を確認し、09:30登攀を開始した。まずは脆そうな凹角から立派な松の木が生えた6~7m上のレッジを目指す。難しくないが、浮石が多く、プロテクションが取れないので気持ち悪い。レッジに登りあがる直前の小枝に申し訳程度にスリングを巻き、ランナーをとったが、これは半分冗談のつもり。慎重にレッジへ上がり込み、上のラインを探る。右はブッシュがうるさく、登攀には向かない。左のカンテはすっきりしているが、逆層でハングが厳しい。そこで、ブッシュの際を左上し、ハング下を細かいスタンスをつないで、カンテ側へトラバースし、左上のレッジへ出ることにした。このトラバースは一癖あって面白い。

ポッキーみたいな小枝にランナーをとる / ブッシュが少々うるさいが壁は立っている

レッジへ出ると視界が開ける。高度感はなかなかのものだ。そこから10m程、ところどころに生える細い灌木をつなぐが、どれも抜けそうで頼りない。何とかテラスへ出るも屈曲したロープが異常に重い。左奥の立木を終了点にピッチを切った。灌木のおかげでボルトを打つ必要もなく、登ってこれたが、少々ブッシュがうるさかったため、折口に左よりのすっきりしたラインに3つボルトを設置し、ラインを整えてもらった。

ボロい壁と弱い灌木でなかなか渋い / ラインを整える折口

それにしてもこの壁からの景色はやはり格別だ。テラスの足元はすっぱりと切れ落ち、スタート地点の二つ坊主沢が見え、傾山から古祖母に延びる稜線も少し下に見える。人工物は一つも見えず、折り重なる深い山々に囲まれた景色は、秘境のクライミングを感じさせ、たまらない。

からしか見られないこの景色に惚れる

 

テラスから先、壁は小さくなりいよいよ大詰めといった感じになる。カンテを左に回り込めば、灌木帯にでて、それを詰めて終了でも良いが、せっかくなので壁の続く限りは壁をのぼろうと思う。

いよいよ壁は小さく…

カンテを乗り越すとブッシュ帯という、少々シュールな状況ではあるが、木登りよりはいいだろう。壁が無くなるまでカンテ沿いに登り、灌木帯に入る。これで終わりかと思ったら、最後に10mくらいのボルダーの様な壁が出てきた。一旦ピッチを切って二人を迎える。これも無理して登るほどもないのだが、時間もあるし、最後は「まっすぐ突っ切って終了にしようぜ!」ということで意見が一致し、折口が最後のボロ壁に突っ込む。

最後のボロ壁へ突っ込むバースデー折口

そういえばこの男、今日が誕生日で29歳になったらしい。貴重な20代最後の誕生日をこんなボロ壁で過ごしていていいのか?と思わないでもない。「以外と悪い!」と何度も口にしたセリフをうれしそうにこぼしつつ、あっという間に登り切りビレイ解除。橋本が2番手で登り、最後に私が追いかける。ボロ壁の先で折口と橋本が笑顔で迎えてくれる。足元はもう坊主尾根の縦走路だった。

 

余談だが、この後待っていたかのように雨が降り出した。雨に始まり、雨に終わる。もはやこれも予定されていた物語なのだろう。雨の中、朝の荷物にビール6缶と登攀フル装備をつけ加え、倍近くになった装備を肩に食い込ませながら、軽快に坊主尾根を駆け降りた。

 

荷物は重いが足取りは軽い

2021年1月の偵察から2年と2カ月。グランドアップによる開拓登攀は終わったが、僕たちの冒険はまだまだ終わらない。ワンプッシュ、フリー化のトライが残っている。歩荷の日々はもう少し続く。

 

・・・第9話 「カモシカと交換日記」へつづく....

 

<アルバム>

 

傾山 二ツ坊主南壁登攀 後半戦の記録  ~第7話 理想のライン~

第7話 理想のライン

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上部岸壁偵察 2022年11月17日 メンバー 片山

まだ前回の余韻も興奮冷めぬところだが、後半の計画が進まず、不安を抱く。というのも、上部壁の様子がわからないのだ。ブッシュ沿いに稜線へ抜けた際に上部右半分の岩壁を眺めたが、ブッシュが濃く、上の様子が良く見えない。かろうじて見えた壁は逆層厳しく、クラックは皆無。グランドアップで登るには非常に厳しそうに見えたのだ。

ビバークした洞窟の上を見上げる

 

それに壁全景の写真が無く、ブッシュがどのようにつながっているのか、二つ坊主ピークの直下はどうなっているのか、皆目見当もつかない。そこで一旦全景をしっかり把握しようと、一眼を片手に傾山へと向かった。

 

まず南坊主沢を詰めあがりつつ壁を探る。何とか3ピッチ目のボルトを視認することができたが、木々に遮られ、壁の一部しか見えない。もう少し上が見えないかと、ブッシュを頼りに、側壁を登ってみるが、近すぎて全体の様子はわからない。それに、側壁は浮石や枯木が多く、危険極まりない。一人でこんなところから落ちたら助からない。慎重に谷に戻り、そのまま傾山山頂へと向かう。

木々の隙間から3ピッチ目の一部が見えた

山頂から二つ坊主の壁は良く見えるが、いかんせん、角度が悪く、登攀ラインが微妙に影になってしまう。またおりからのガスに阻まれ、写真が取れない。仕方なく、せんげん尾根から下山し始めると、幸運にもガスが晴れてきた。傾山山頂と九折小屋のちょうど真ん中辺りから、どでかい2ツ坊主南壁を正面からとらえることができた。一眼の望遠を目いっぱい使って撮影すると、何とか前半のラインをとらえることができた。続けて、上部の主だった岩壁を手当たり次第に撮影して下山した。

山頂からはガスで望めず/せんげん尾根から全景を確認できた

写真を確認して分かったことは、ブッシュ帯は想像以上に広く、すっきりした壁は少ない。だが、相変わらず傾斜は強い。前半のラインはなかなかすっきりしたところをつないでおり、悪くない。

前回までのライン

全景がわかったことで、上部のラインがいくつか想定できた。一つは4ピッチ目途中から左にラインを変えて、ブッシュ帯を超えて、ピークの直下を目指すライン。もう一つは前回寝床にした岩屋の上の岩壁を直上するライン。こちらの方がブッシュを避けてすっきりしたカンテを長く登れそうであるが、逆層が厳しい。壁の形状からその二つが妥当に思えた。

 

上部岩壁の基部を偵察しに行きたいが、いかんせんアプローチが遠く、岩壁に回り込むのも難儀しそうだ。だが、できれば、上から懸垂で探るのだけは避けたい。上から見てしまうと、せっかくのグランドアップが台無しだ。やはり、下から解読していきたい。

ピークへ突き上げる岩は小さくボロそう / 洞窟上の岩はそれなりのサイズ

見えてきたライン

2022年12月~2023年2月

 上部壁基部の偵察を試み、12月と1月に橋本と傾山へ足を運んだが、雪に阻まれ、断念。2月は仕事と育児に追われ、傾どころかランニングもままならない。こんなことで登れるのか。焦りと不安が募る。

冬の間、壁は雪に閉ざされた


・・・第8話 「トップアウト」へつづく....

はじまりの谷 阿蘇 松ガ尾

2023年1月29日 阿蘇 松ガ尾谷



僕のアルパインライミングはこの谷から初まった。


5年前、僕はこの谷に跳ね返され、この谷に生かされた。


あの頃、アルパインのアどころか、クライミングのクも良く分かっていなかった僕は、この谷で正に九死に一生を得る経験をした。

阿蘇山から「力をつけて帰ってこい」と言われた気がした。

 

あれから5年間、それなりに幅広くクライミングをしてきたが、松ヶ尾は常に心の片隅にあった。

そして2023年1月29日、ようやくこの谷舞い戻る機会を得た。

 

改めて松ヶ尾を登り感じたことは、この谷は総合力を試される谷だということ。
岩、ミックス、アイス、ルートファインディング、下降技術。そして体力と気力。それら全てを順番に試されているような谷だった。

 

5年前に叩き落とされた滝は、今登っても十分難しく、雄叫びをあげながらの突破になった。

 

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5年前はここで…

 

その先は次から次へと登場する氷瀑。ゆるい滝はフリーでどんどん行かなければ、時間が足りない。

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詰め上がりのルートファインディングは間違えば奈落。精神を削られた。

 

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間違えば、袋小路

 

 

下降は言わずもがな。

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いつの間にかすっかり夜に…

 

この谷を初見で事前情報無しで突破できる人がいたら、それは相当の実力者と見て間違い無いだろう。

 

今の自分は、途中までの記憶と事前情報たっぷり入手して、ほぼ全力。良くもまぁ五年前無事だったと改めてホッとした。

 

僕の懸垂の手際の悪さで、しっかりヘッテン下山になってしまったが、これもまたアルパインの醍醐味。

 

仙酔峡のベンチで兄貴とY姉さんと3人並んで見た、鷲ヶ峰と星空がとんでもなく美しく思えた。

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こんな経験ができるのも兄貴をはじめ多くの仲間に支えられてこそ。感謝しなくては。

 

松ヶ尾を突破した暁には言いたかった一言。

 


アルパインはじめました。」

 

 

To be continued…

 

 

<アルバム>

 

傾山 二ツ坊主南壁登攀 前半戦の記録  ~第6話 つなぐ壁 前半戦完結~

 

第6話 つなぐ壁 前半戦完結

登攀第5日目 2022年9月24日 メンバー 片山/折口/橋本

まだ台風14号の爪痕が残る県道7号線。通行止めで九折登山口まで行けるかわからず、前日23日に妻と子を連れドライブがてら様子を見に行く。土砂が流れた跡は随所に見られたが、登山口までは問題なく通れるようになっていた。山手本谷は台風の豪雨で洗われたのか、岩は白く、水はエメラルドグリーンに美しく輝いている。

       


 

翌24日早朝。折口にピックアップしてもらい、竹中で橋本と合流。九折登山口には05:00頃到着した。そこから例の林道を使い、山火事注意の登山口まで車で向かう、

 

はずだった。

しかし林道に入って間もなく異変に気が付く。つい2週間前はポルシェでも走れそうなほどきれいだった林道は見る影もなくえぐれ、あれだけ美しく整備されていた林道が、ものの数週間できれいさっぱり元の荒廃林道に戻ってしまったのだ。

    

林道は見事に崩壊 / ホールバックを担いで歩く

 

自然の力はあまりに強い。

 

車で林道を上がれたのは一回だけだった。

結局、車を九折登山口に戻し、仕切り直し。今回は紅葉バンドで一泊し、稜線まで出る計画。ホールバックにビバーク装備を詰め込み、重量にあえぎながら、いつものアプローチを行く。林道は荒廃していたが、心配した南坊主沢は大した被害はなく、問題なく壁の基部に到着した。フィックスロープも無事の様だ。

 

早速ユマーリングにかかろうとフィックスロープを手繰り寄せる。すると見覚えのないジップロックがロープ括り付けられている。

中に紙が入っている。

まさか、遭難者からのメッセージか?

はたまた管理者からロープ撤去の命令か、、

 

我々以外数十年来、誰も来てないと思っていたこの場所で、他人の気配を感じ鳥肌が立つ。

 

しかし、それはすぐに感動へと変わった。

 

紙は台風で濡れボロボロになっていたが、奇跡的に文面は残っている。

 

「親愛なるひも野郎へ ここを登っていることに心より敬意を表す。いつか会える日を楽しみにしています。W&T」

        

        どんな時も誰かがきっと見てくれている

 

こんな粋な手紙をもらったのは人生で初めてである。たまたま訪れるような場所ではない。この手紙を置くためにわざわざこんなところまで登ってきたと考えるのが妥当である。大した実績もなく、ただ物好きなだけの我々の登攀を、見てくれている人がいる。恐らくは1970~80年代にこの壁に挑んでいた往年のクライマーのどなたかであろう。

 

あまりの感動に再度鳥肌が立った。完登した暁には必ず会いに行こう。そして色んな話をしよう。

 

この壁を登ること。

 

それがこれまで以上に熱く重いものに変わった。

 

さあ行こう!

まずは1,2ピッチのユマーリングとホーリングだ。慣れないホーリングに時間を取られながらも、何とか2ピッチ目終了点へ到達。すでに12時を回っている。

 

遅れを取り戻すべく手早くギアを整え、3ピッチ目の登攀を開始する。小ハングで上の様子はわからないが、草が一直線に右上しているので、きっと何かある。

しかし、その予想は大いに、大いに甘かった。

激闘の始まり

 

出だしのハング越しは問題ないが、ハングから上へ伸びる草付きまでのトラバースで早くもストップ。細かくバランシーなこの数メートル。10mmほどのカチを数メートルつないだ先に、めぼしいホールドは見えない。

 

加えてプロテクションが取れない。

 

早々にスカイフックに体重を預け、あたりを探る。リスに手当たり次第にハーケンをたたくが、どこも5mm程でハジキ返される。小さな割れ目にトーテム黒が片刃だけ入る。止まるはずのないカムで気持ちを落ち着かせ、何度か次のホールドへ足を延ばしてみる。

しかし、乗り込んだら最後、もう戻れない。その先は、ロシアンルーレット。恐ろしくて乗り込めない。しばらくもがくが、諦めてボルトを打った。

 

しかし、これはまだ序の口だった。数メートルトラバースし、例の右上する草付きを見上げ、愕然とする。確かに、草の下に窪みはあるのだが、とてもクラックとは呼べない代物だ。草をはがしてみても、段差がある程度で、リスも薄い。

試しにハーケンをたたいてみるが、1cm入れば良いほうで、引っ張れば簡単に抜ける。中盤にはポケット状の穴もありそうだが、それも草を剥ぎ、泥を掻き出してみないとわからない。とても片手で保持しながらできる作業ではない。

 

その怪しい窪み以外はあまりにも平で綺麗な垂壁。左上する細かなホールドを拾うラインも取れそうではあるが、そこにはもはや窪みどころかリスも無い。先のハングで詰むことも予想された。

 

お手上げだった。

 

1,2ピッチは怪しいプロテクションでも落ちずに登れるだけのホールドがあった。ここは違う。確実に落ちる。この先にフリーで突っ込める技術も精神力も持ち合わせてはいなかった。

ここにきて、この壁の真の姿を見た気がした。

 

一旦降りて別のラインを探るべきか。

しかし、ここまでも弱点を突いてきているし、ここ以外に弱点は見当たらないのだ。

 

そうなると前進手段としてのボルトを打つか、撤退か。

 

どれくらいの時間悩んだかわからない。これ以上時間を無駄にはできない。泣く泣く前進用ボルトを打つ決断をくだす。

本来なら撤退して、力をつけて挑むべきなのかもしれない。しかし、ここまで来て下降できる程、私はまだ成熟したクライマーではなかった。

 

何がなんでも先を見たい!

 

せめてもの理由付けとして、ボルトを打つにしても、岩が示してくれたラインであること、フリー化が可能なラインであること、そして、カムやナッツがとれるところには打たず、最小限にとどめる。という勝手なルールを作り自分に言い聞かせた。

例の窪み沿いに1発目のボルトを入れる。アブミを掛け、更に上の草をはがして土をほじくる。小さな窪みが出てきたので、トーテムの黒を入れてみる。片刃だけ決まる。

確かトーテムは片刃でも静荷重は大丈夫だったはずだ。

慎重にテストしてそっと乗り込む。大丈夫そうだ。さらに上の草をはがす。何も出ない。止むなく、ギリギリの高さにボルトを入れようとハンマーを手にした瞬間。

 

パンっと軽い音がして体が宙を舞う。

 

一瞬で折口の頭のすぐ上まで降ってきた。ブレードが泥で滑ったのか。まったく予兆がなかっただけに恐ろしい。

 

息を整え、最後のボルトの場所まで上がる。同じ場所に同じカムを入れ、再度立ち上がる。いつ抜けるか、次元爆弾のようなカムの恐怖に耐え、更にボルトを一本打つ。

 

そしてさらに上へ。

ここからは同じことの繰り返しだった。

草を抜き、片刃のトーテムに乗り込み、更に上の草を抜く。そしてまた片刃のトーテムが抜け数メートル落ちる。さぞシュールな映像だったであろう。

 

4本目のボルトに乗り込んだ時、ふと、下の二人のことが頭によぎる。もう何時間も足場の良くないビレイ点で動くこともできず、自分のフォールを支えてくれている。何といい仲間を得たものだと。頭上のボルト打ちで腕はパンパン、足の指先もズキズキするが、泣き言など言ってられない。

 

あとは右手に5~6メートル程トラバースすれば終了点にできそうなレッジがある。こっちにおいでと言わんばかりに、平行にホールドも続いている。

意を決し、トラバースに入る。手はガバなのだが、足が細かい。背負った山ほどのプロテクションとドリルセットが体の動きを鈍らせる。

何とか右手が届く位置のガバをつかみ、慎重に体重を移動する。左手で耐えつつスカイフックをひっかける。体重を入れるとフックが少しずれ、肝を冷やす。

 

体制を整え、ボルトを打つ。

最後のボルトにプロテクションをひっかけ、ドリルだけを背負い、かなりバランシ―な3~4mほどをフリーでこなす。右手にかけた草付きが抜けそうで動きが止まる。草が抜ける前に、左手を小さなカチにデットする。こういう時の人間の集中力は驚くものがある。6㎜程のカチが文字通りカチッと止った。

レッジに這い上がり、しっかり立てた瞬間は、正に精魂尽き果てた。


しかしのんびりしている時間は無い。手早く終了点を設置し、ビレイ解除のコールを送った。瞬間、下から、「ナイスクライミング!」と声が返ってきて思わず眼がしらが熱くなる。いやいやそれは完登後にとっておこう。

 

随分待たせた二人が登ってくる。足元はどこまでも切れ落ち、すさまじい高度感。バックには祖母山が顔を覗かせる。九州とは思えないものすごい景色だ。それに溶け込むクライマーがまたかっこいい。ややこしいトラバースを折口が器用にあがってくる。橋本もまたバランシ―な体制で最後のヌンチャクを回収し上がってきた。そして荷揚げ。いつの間にか、16時を回っていた。



しかし寝床を得るにはあと1ピッチ延ばさないといけない。次のピッチは折口に託す。下からの見立てでは、下部は概ね登りやすそうな形状。中盤のコケっぽい薄被りの5m程が核心のように見え、その先はブッシュに突っ込む。時間があれば左上し、一段上のバンドに出たいところだが、いかんせん。前のピッチで誰かさんが時間とボルトを使いすぎた。ボルトの残数は5本。一時間もすれば暗くなる。こんな状況でも「行きます!」と気合十分の折口。なんとも頼もしい。

夕陽を浴びて折口が行く

すでに薄暗くなった壁を折口が登る。相変わらずプロテクションが悪いようだ。5m程上がるが何も取れず、一本ボルトを入れる。その先も微妙なカムでごまかしながら、核心と思しき箇所へ突入する。辺りはもう真っ暗。ヘッテンを頼りにプロテクションを探すが、見当たらない。やむなくシビアな体制でボルトを打つ。途中ビットがつぶれて入らなくなり焦る。予備のビットに交換し、なんとかボルトをたたき込んだ。

 

暗く先が良く見えない中を進んでいく恐怖がいかほどかは、想像に難しくない。暗闇のなかヘッテンの光が揺れる。じわじわと光は上へと移動し、次の瞬間、暗闇に咆哮がこだました。やったか!光がブッシュに消え、間もなくビレイ解除のコールが聞こえた。見事だ。

早速ユマーリングで後を追う。やはり、下から見るより壁はシビアだ。よくぞ登ってくれた。ブッシュ帯まで登り、急いでホーリングを開始。時間が無いので、1/1で上二人が一気に引き上げ、橋本が登りながら引っ掛かりを外すサポート。随分慣れてきたものだ。3人の息も格段に合ってきている。気分が高まり、荷揚げのリズムに合わせてソーラン節を大声で歌ってみたり。

時間は19時。辺りは真っ暗だが、この一体感はたまらない。

 

どうにか荷揚げが完了したが、まだまだ行動は終わらない。ブッシュの傾斜が予想より強く、寝床が見つからないのだ。やむなく、ブッシュ内の悪いルンゼをずり上がり、更に上を目指す。交代でリードと荷揚げをこなし、更に80mほどロープを延ばしたところでようやく一息付けそうな洞窟を発見した。狭いが、3人が縦に並べば何とか横になれそうだ。荷物を入り口につるし、洞窟へと転がり込む。

 

時間は22時。2時に起きてからろくに飯も食べていない。喉もからからだが、みんないい顔をして笑っている。タフな奴らだ。

こんな時間の重労働。タフな奴らだ!

早速苦労して持ち上げたホールバックから酒を取り出し、乾杯。ぬるいビールが最高にうまかった。一缶飲んでフリーズドライを食ったら、程よく眠気が襲ってくる。そのまま吸い込まれるように寝てしまった。

 

登攀第6日目 2022年9月25日 前半戦完結 

翌朝、洞窟の入り口から朝日に燃える祖母山を望む。改めて見回すとなかなかとんでもない場所で一夜を明かしたものだ。先人達もこの場で夜を明かしたのだろうか。

     

朝飯を簡単に済ませ、一杯のコーヒーで気持ちを整えたら、荷物をまとめ、稜線を目指す。当初の予想に反して、ボルトをほぼ使い切ってしまったので、本日は先の壁を偵察しつつ、ブッシュ沿いに稜線を目指す。

 

昨晩寝床が見つからず、詰めあがったおかげで、さほど時間もかからず稜線の登山道へと飛び出した。予定の登攀ラインは2~3ピッチ残しているが、とりあえず壁を抜けた。

春先からじわじわと高度をあげ、ようやくここまでたどり着いた。長かった。無事壁を抜けた安堵感と達成感から自然と笑顔があふれる。

 

ここで一旦前半戦を締めるとしよう。

 

後半戦は時間と体力の勝負になりそうだ。壁の難しさもさらに増してきそうな予感がする。しかしここまで来たならやらねばなるまい。

 

大丈夫、このチームは格段に強くなっている。頼もしい2人の仲間と並び、決意新たに坊主尾根を踏みしめる。

 

    ・・・・前半戦 完・・・・

 

<アルバム>

 

傾山 二ツ坊主南壁登攀 前半戦の記録  ~第5話 Always rainy~

第5話 Always rainy

 

☞8月21日 九十九折登山口で前泊するも早朝より豪雨中止

☞9月3日 台風による雨。中止

 

登攀第4日目 2022年9月11日 メンバー 片山/橋本

雨中止がつづき、うんざりしてきたこの頃。今回も直前まで雨予報。中止か…と思っていたが、前日天気予報は晴後曇りに変わり、心躍る。

 

前回のことがあるので、早朝出発とし、2:50家をでる。3:30橋本と合流し、登山口へとむかう。秋の夜は動物たちの活動が活発だ。鹿にイノシシ、狸に猫の親子と沢山の動物達が車の脇でモゾモゾしている。この夜は中秋の名月。文字通りの美しい満月に見惚れつつ、肌寒くなってきた朝の風を浴びる。今日は行ける!

薄暗い林道から中秋の名月を見る

 

前回突然整備され驚かされた林道をフォレスターで駆け上がる。ワイヤーが貼られている山火事注意の登山口に車を止め、そそくさと準備を済ませる。これまで何度も歩いてきた観音滝ルートの急登をパスできるのは距離以上に気持ちが楽だ。ありがたい。

 

まだ暗い林道をスタスタ歩き、あっという間に山手本谷出会の橋。林道歩きは30分近く短縮。台風で葉が落ちたのか、沢筋の見通しも良い。2、3分岐を見落とすが、問題無く8時前には取つきに到着した。素早く準備を済ませる。

 

本日は前回終了地点の小ハング下から50m程のバンドに見える所まで伸ばす予定だ。

 

が、

 

一ピッチ目のフィックスロープにユマールをセットしていると、なにやらミストが目に沁みる。

ん?

んん?

気のせいかな?

気のせいだ。

 

いや雨だ…

 

まだ霧雨で壁も濡れていない。もしかしたら止むかもしれないので、とりあえず行ってみる。ユマーリングしながら、一ピッチ目のプロテクションを念入りに確かめる。前半は相変わらずカムもナッツもまともにとれそうにないので、ボルト位置を決め印し、帰りに打つことにする。

 

その先も浅打ハーケンだけだったハズだが、登高会ルート一ピッチ目の終了点左にトーテム紫がガッチリ決まるポケットがある!なぜこれまで気が付かなかったのか!

 

そこからも適度な間隔でカムが取れる。どうも前回剥がした草の土が洗われていい感じのポケットが出現したようだ。思いの外ちゃんとプロテクションが取れることに驚く。リード時にカムは2発しか取れなかったのに!終了点直下、7.8m下のトーテム黒が最後のプロテクション。ランナウトでも良いが、ホールドが細かいので、この辺りに一発取りたい。

 

あたりを念入りに探すとガバの奥に草が生えている。草をはいでほじくると、トーテム青か、ナッツが決まるちょうど良いポケットが出現した。

これで出だし以外はナチュプロだけでいける!

 

一旦終了点へ上がり、橋本を迎える。しかし雨粒がだんだん大きくなってくる。

とりあえず前回終了点まで行こうと2ピッチ目のユマールを開始。このピッチもプロテクションが悪い。最初のボルトの上は怪しいナッツと同じく怪しいボールナッツをマイクロのブラスナッツでごまかす。

       

         


試しにこれに落ちてみたい

 

後半はトーテム黄色が取れるのはわかっているが、そこまでにやはり一発はプロテクションが欲しい。色々探すが、ここは何も出てこない。やむなくここは一発ボルトを打つことにする。

 

そうこうするうちに雨はいよいよ本降りになり壁も水が滴り始めた。これ以上は危険だ。やむなく下降を開始する。下降途中で先程マークした位置にボルトを一発いれる。これで2ピッチ目は完成。

        

 

さらに下降し、一ピッチ目の前半のブランクセクションまで降りる。ボルトのマークをした場所で、悪あがき。左手にはリード時にナッツを横向きに気持ちばかりに挟んだ窪みがある。改めてナッツをはめてみるが、間違いなく効いていない。しかしポケットの奥をよく見ると土が詰まっている。試しにナッツキーでほじくると驚くほど奥まで土が詰まっていた。

 

土を全部ほじくるとキャメの1番が決まるほどの大きなポケットがポッカリ口を広げた。ブランクと思われた前半もこれで解決だ!結局一ピッチ目に打ち多しは無し。

 

                                 

                                 ほじくるとぽっかり

 

0ピッチの終了点の一発以外終了点までボルト無し!美しいフェースをナチュプロを駆使して登る素晴らしいルートとなった。

 

むやみにボルトを打たなくてよかった。この壁の冒険性を後世に残すことができたのは何より嬉しい。しばし美しいフェースをながめるが、雨はいっそう強くなり、服も靴もギアもびしょ濡れだ。濡れて重くなったロープを担ぎ、濡れて滑る危険な沢筋を慎重に下山した。

Always rainy!!!!

☞9月18日 台風中止。もういい加減にしてほしい。

 

・・・第6話 「つなぐ壁 前半戦完結」へつづく....